写真館 名古屋

就職活動と証明写真!決め手はフォトスタジオで撮った一枚

就職活動中に履歴書に貼る写真はフォトスタジオで撮るのが基本です。恥ずかしながら私はその基本を知りませんでした。一般的にはそうらしいです。アルバイトなら街中にある証明写真の機械で十分だという話しなのですが、大学の講師から聞いて渋々撮りに出かけました。

当初は写真でそこまで変わるわけがないと思っていました。でも小心者の私は逆らえません。それにみんなから写真といえば創寫舘と聞いたら尚更です。リクルートスーツを着て近くのフォトスタジオへと行きました。

証明写真が一枚600円前後なのに対して、フォトスタジオでは2000円以上します。納得がいかないながらもとりあえず店に入り、さっそく写真撮影を、とはいかなくてカウンセリングからはじまりました。「エッ?」と思いましたがスタッフさんといくつか話しをしました。

恥ずかしながらも目の下に出来ているクマなどの気になる部分を教えると、後ほど修正をしてくれると言われて、またまた「エエッ?」となりました。もっとも普通のことだと言われました。偽装にならないのかなと心配しましたが、簡単な修正くらいなら問題ないと教えてもらってホッと一息。

カウンセリングが終わり、次はメイクです。気になる部分を綺麗に隠してくれて、おまけに化粧の仕方を色々と教わりました。化粧でここまで変わるんだと驚きでした。同じ女性としてダメダメな私。少しショックを受けました。

最後に写真を撮ってもらいモニターを見ながら写真の確認。メイクでも隠しきれなかった部分も自然な仕上がりになるように修正を加えてプリントしてもらうことになりました。終わってみれば値段が高いとか安いとか、そんなことはどうでも良くなり、メイクのやり方などを聞けて就職活動へ向けてやる気と自信が出ていました。

いよいよ本番の面接日。教えてもらったメイク術を駆使して目の下のクマなどを隠して挑みました。引け目がなくなったせいか応対もしっかりと出来たような気がします。そして希望していた職種、第一希望であった会社から見事内定を頂きました。

内定を頂けたのはフォトスタジオのスタッフのおかげだと思っています。たかだか写真一枚でなにが変わるのかと考えていた自分を殴りたいです。満足の行く履歴書を作るということは自信に繋がります。写真だけでなくフォトスタジオで教えてもらったアドバイスだって非常に役立ちました。

気持ち的な面でも落ち着いて挑めたことが内定を頂けた要因だと思います。フォトスタジオにも内定を頂いた報告をしたのですが自分のことのように喜んでくれて本当に嬉しかったです。

次にフォトスタジオに行くのは結婚するときでしょうか。相手がいないのに言っても仕方がありませんが、そのときには旦那様と一緒に写真を撮ってもらおうと考えています。

写真館で家族の写真を撮り続けた意外な理由!新事実が発覚した

僕の家族は行事のたびに写真館で写真を撮る習慣があります。二人兄弟で僕は次男です。普通は長男の写真が多く、下になるほど写真が減ると言います。しかしうちの家は兄だけでなく僕の写真もお宮参りや七五三だけでなく、全てが兄と同じです。

特徴的なのが家族四人で撮った写真が多いことだと思います。中学入学までは普通に写っているのですが、中学卒業となると兄も僕も反抗期を迎えていてかなり無愛想な写真になっています。兄の高校入学のときが一番酷いかもしれません。

兄は髪を金色に染めており、そっぽを向いていたりします。僕はそこまではありませんが、兄の影響もあり無愛想です。それでも父も母も笑顔で写っているので今は見るのが辛かったりします。反抗期だったとはいえ、やはり胸が痛みます。両親が家族写真にこだわる理由を知った今はなおさらです。

家族で写真を撮る理由。それを知ったのは兄が成人式を迎えたときでした。父と母に呼ばれてリビングに行くと、一枚の写真を見せられました。小さな赤ちゃんの写真ですが、両親曰く写真はその一枚しか残っていないのだそうです。

誰なのかと兄が尋ねると、父が僕たちの姉だと予想外のことを言いました。僕たちに姉がいるなんて聞いたこともありません。両親は兄が成人したときに話そうと思っていたのだそうです。

僕たちの姉が産まれたのは、兄が産まれる2年前。姉が産まれたときに父は相当喜んだそうです。初めての子供で浮かれるのは分かります。これも今だからでしょう。しかし産まれてすぐに姉は他界しました。

直接の原因は未熟児で産まれ、感染症にかかったことらしいです。どんな感染症かは聞いていないので分かりません。生後3週間だったそうです。写真は看護師さんが両親のために撮ってくれたもので、両親は絶対に生きてくれると信じて写真は残さなかったと言っていました。

ですが結果的に死んでしまい、一枚の写真だけが残りました。両親はショックのあまり無気力に近い状態と陥ったそうです。かなり苦労して二人でどうにか乗り越えた頃に兄が誕生しました。

そのときから思い出をちゃんと残そうと思ったそうです。父と母は、いつ、誰がいなくなるか分からないといった恐怖を今も持っていると言っていました。そしてしっかりとした思い出といいますか、写真を残すためにも自分たちで撮影するのではなくプロに頼むという選択をし、僕たちの集合写真という形になったようです。

その話しを聞いて兄が激怒しました。なんでもっと早く言わないのか、と叫びました。父は静かに、僕たちに変な責任を感じて欲しくなかったと言いました。普通に生きて、普通に反抗期を迎えて、普通に大人になって欲しかったと言いました。

反抗期だったときも両親が笑顔だったのは、反抗するのは普通のことだと思ったからだそうです。母も中学とか高校のときに家族の写真を撮るといったら拒絶したと思うと言って笑っていました。その後で兄は泣きながら謝罪をしていましたが、僕は素直になれずただ話しを聞いていました。

僕がちゃんと謝罪ができたのは結婚して子供ができてからです。子供を失った悲しみがどれほどのものなのかは子供ができた今でも分かりません。それでも想像すると狂いそうになります。

後悔も多々ありますが、写真館で集合写真を撮るという習慣は今も続いています。兄と僕の妻側の両親。そして僕たちの両親。僕たちの家族。大家族で押しかけて集合写真を撮ってもらっています。

そして姉のことを知ってからは、姉の命日には家族で墓参りに行くようになりました。両親のように大切な子供を守っていこうと姉の墓前に毎年誓っています。

喜寿を迎える祖父母は結婚してから写真館で撮り続けている

俺の祖父母は非常に仲が良い。感化されているのかうちの両親も仲が良い。もはや家系なのかと思うほど両親の兄妹夫婦の仲も良かったりする。俺たちの代でこの流れが切れないかと孫の代は戦々恐々としているが今は関係のない話しだろう。

とにかく祖父母は仲が良い。今でも一緒に旅行へ行ったり、買い物へ行ったりとしている。そんな祖父母には最低でも年に一回は行う行事がある。結婚記念日の写真館で行う撮影会。これだけは欠かした事がないらしい。そして賀寿祝いもその一つだ。

喜寿(満76歳。数え歳で77歳)を迎えた同じ歳の祖父母は仲むつまじく写真館へと出かけた。還暦も禄寿も古希も二人で撮っている。おかけで俺たち孫一同も賀寿について詳しかったりする。

写真館で写真を撮るようになったそもそもの始まりは、祖父母の親戚にカメラマンがいたことだ。フリーのカメラマンとして活動していたその親戚が、祖父母が結婚したときに撮ってくれた写真にいたく感動したらしい。

俺は祖父母が結婚したときの写真を見せてもらったことがある。白黒ではあったが確かに綺麗な写真だった。髪の毛1本まで綺麗に写っているような、非常に鮮明な写真だった。背景のボカシ具合も流石としかいえない。今のカメラならある程度は自動で補正が利く。しかし当時のカメラはほぼマニュアルだったはずだ。それでここまで綺麗にとることが出来るというのはなかなか凄いと思う。

祖父母が結婚してから写真館で撮ってきた写真の総数は50枚を超えるのではないかと思う。それも祖父母が写っている写真に限定しての話しだ。俺たちの両親や両親の兄弟を合わせるともっとある。ついでに俺たち孫の代の写真を合わせればそれはもう膨大になる。今でこそ結婚記念日がメインだが、俺たちが小さい頃は何かにつけて撮ってもらっていた。

集合写真から始まり、それぞれの家族別の写真、孫だけの集合写真、孫と祖父母の写真などまとめて一気に撮る。撮りまくると言っても良い。そんな訳で俺の進路もカメラマンとなった。祖父母には感謝をしているが普段ならまだしも、記念日となると未だに俺には撮らせてくれない。

孫が可愛いとは言ってもそれはそれ、ということらしい。俺の目標は祖父母に納得してもらえる写真を撮ることだったりする。まあそれは良い。置いておこう。

祖父母はそれくらい写真に対する思い入れが強いということだ。常連となっている写真館へと到る経緯も常軌を逸しており、祖父母は写真を見て気に食わないとすぐに写真館を変えてきたという恐ろしく迷惑な遍歴を持っている。写真家にとっては迷惑極まりない客だろう。

そんな迷惑な祖父母ではあるが普段は本当に優しい。ただ独自の「写真観」とでも言うべき眼を持っており、写真に厳しいだけだ。その祖父母を満足させる写真を数十年間撮り続けている写真館の人は俺の師匠だったりする。実際に弟子入りしているわけではなく、心の中でそう呼んでいるだけだ。

なぜなら祖父母は真似事を嫌う。同じ構図で撮っても認めてはくれない。だから参考にはするが真似はしない。いつか必ず祖父母公認で記念日の写真を撮るのが俺の目標だ。その祖父母は120歳の『大還暦』まで生きるつもりらしいので時間はある。

俺のためにも是非とも長生きして欲しいところだ。そして俺の悲願であるが、いつか必ず祖父母を唸らせてやろうと今日も今日とて写真を撮りまくっている。

明治生まれの曾祖父の遺影は写真館で撮った紋付羽織袴だった

大好きだった祖父が亡くなった。祖父とは俺が社会人になってからは滅多に会わなくなり、正月も家族と過ごすより高校や大学の友達と遊ぶことが多かった。そのことを今は後悔している。

俺が小さいときは祖父と将棋をしたり、一緒にゲームをしたり、とにかく一緒に遊んだ。時には友達を連れて遊びに行った。そして我が家ではテレビゲームを禁止していたため、祖父にお願いして買ってもらったこともある。そのせいで俺の父と祖父が喧嘩をしていたことを覚えている。

祖父に迷惑をかけたくないから勉強も頑張った。祖父に教えてもらいながら勉強をした。塾へ行かずに進学校である高校へ受かり、希望していた大学も浪人することなく入れた。俺にとっては祖父が塾の先生でもあった。

その祖父が亡くなり、遺品整理をしているときに山のような参考書を見つけた。中学・高校の各教科の参考書。そして俺の通っていた大学入試の問題集である『赤本』まであった。祖母が語ってくれた内容は俺にとっては衝撃以外の何物でもなかった。話しを裏付けるように参考書や赤本にある幾つもの書き込みがあった。

俺が何を聞いて、どこに興味を持っているのかなど、細かく書かれてあった。それだけではなく入試の傾向と対策まで研究してあり、どう教えるかまで書かれてあった。祖父の残してくれた言葉の一つ一つに心当たりがある。

「オヤジは教師になるのが夢だったんだ」

泣きながら本を見ていたら、父がそう言って白い和紙に包まれた服を持ってきた。黒い紋付羽織袴。明治生まれの曽祖父が遺影の写真を撮るときに着ていたもので、祖父も同じものを着て遺影を撮っていた。曽祖父の遺影を見せてもらったことがある。

「父さんもな、これを着て遺影を撮ってもらうつもりだ」

父はそう言った。曽祖父が写真を撮ってもらった写真館は今もあり、祖父もそこで遺影用の写真を撮ったという。俺は何も知らなかった。祖父のことも、父のことさえも知らなかった。

葬儀が終わり、父に誘われて曽祖父と祖父が訪れたという写真館へと行ってみた。もちろん紋付羽織袴を持っていった。写真館は幾つかの写真が飾っており、想像していたよりはるかに綺麗な店だった。曽祖父と祖父がここで写真を撮ったのかと思うと不思議な感じがした。

父に勧められて紋付羽織袴に着替えて写真を撮ってもらった。撮影後にカメラマンから祖父が今度は俺と一緒に写真を撮りに来ると言って帰っていったという話しを聞いた。そして父も祖父と一緒に来ていたのでその話を知っていた。

父に「これでオヤジも夢が叶ったんじゃないか?」と言われ、迂闊にも大切な袴を涙で汚してしまった。その祖父は亡くなる直前まで俺のことを心配していたそうだ。本当に後悔してもしきれない。父も曽祖父の最期を看取れなかったことを後悔していると言っていた。父は俺を励ます為に話してくれたのかもしれないと思っているが真偽は分からない。

写真館を出る前に曽祖父と祖父、そして父と幼い俺の4人で撮った写真をカメラマンから手渡された。カメラマンも30代くらいだったので曽祖父のことは知らないと言っていた。撮ったのはカメラマンの父親だという話しだが、保管されていたネガを探し出してわざわざ現像してくれたらしい。

少し色褪せていたが3代揃って優しい目元と鼻が良く似ている。俺は母親似なこともあって少し寂しかった。

俺は赤本の最後のページに残してくれた「はばたけ」という祖父の言葉だけは絶対に忘れない。そしてこの思いを忘れない為にも曽祖父から受け継がれている紋付羽織袴を父から譲り受けたときには、同じ写真館で同じ袴を着て写真を撮ってもらおうと思っている。

入園式から大学の卒業までを撮ってくれた写真館と僕の思い出

僕の人生の節目を撮った写真は、すべてその写真館で撮ってもらったものです。入園式と入学式。そして卒業式。意味も分からずっと写真を撮ってもらっていました。理由を知ったのは大学卒業後に両親をともなって写真を撮りに行ったときです。

この写真館と僕の出会いは僕が幼稚園に入る前になります。僕自身は覚えていませんが唯一覚えているのは迷子になったことくらいです。どうして迷子になったのかは覚えていません。ただ怖かったことは覚えています。

入園式の前に準備を兼ねて両親と一緒に買い物に出かけたのですが、卒業シーズンを迎えていたこともあり、街は混雑していたそうです。母と手を繋いでおり、その母がトイレに行くといってショッピングセンターのトイレに入っていったときに事件(?)が起こりました。

父が外に出て煙草を吸っている間に僕がいなくなり、気付いた父は焦ったそうです。僕の心配をして、ではなく、母に怒られると思い保身のために必死で探したと告白したせいで、約20年越しで母に怒られていました。ショッピングセンターに館内放送を入れてもらい、さらに近隣を探したけど見つからなかった。

一方の僕はといえば、泣きながら路地に入っていたらしく保護してくれたのが写真館のお兄さんでした。そしてもう一つの真実も明らかになりました。これは僕の与り知らない話しですが、そのときに客として来ていた人がお兄さんの奥さんです。お兄さんとは言っても、もう立派なおじ様です。それでもオシャレな人で僕の憧れの兄です。

大泣きしていた僕を写真館に招きいれて、お兄さんと今の奥さんがどうにかこうにかあやそうとして失敗。騒ぎを聞きつけて、当時の店主であったお兄さんの父親と母親が現れ、僕の着ていた服の裏を見たり、靴を調べたりして情報を得たそうです。経験に勝るものはなしということでしょうか。

幼稚園などに通うときには、持ち物に名前を書く習慣があるのだそうです。入園前ということもあり服の裏に名前が書かれてあることを発見し、すぐに警察に連絡をしてくれました。その間、お兄さんと奥さんは二人仲良く突っ立って、ただ成り行きを見守っていたそうです。

警察が駆けつけ、警察署に連れて行こうとしたら、再びの号泣。本当に良く泣いたそうです。仕方なく警察の人たちは両親を捜しに向かい、写真館での保護を続行することになりました。泣き止んだ僕はお兄さんや奥さんに構ってもらっており、これが二人が付き合い始める直接のきっかけとなったみたいです。

その後、警察の人たちが両親を探し当て、迎えにきました。そのときに撮った写真も見せてもらいましたが、話しを聞いた後だったこともあり非常に恥ずかしかった。その一件があり、僕の家族と写真館の家族との付き合いが始まりました。

入園式から大学卒業までを綴った写真の裏に、そんな話しがあったとは知りませんでした。しかも僕自身が係わっていたとは…。これらの話しは大学卒業の写真を撮ってもらった後で聞きました。撮影の前だったらどんな顔になっていたか分かりません。

撮影後のお茶会で写真館の前店主も交えて、恥ずかしい過去を暴露され嬉しいやら恥ずかしいやら。なんとも言えません。家に帰り撮ってもらった過去の写真を一枚一枚見返してみると本当に自然に撮れていることに気付きました。

これはお兄さんの腕なのか、それともそういった裏の話しがあったから自然に撮れたのか、そこは分かりません。ただ撮ってもらった写真は全てが僕の思い出の結晶です。写真館と僕の出会いから始まったこの行事はこれから先もずっと続けていきたいと思っています。